奥田流四代目

林田滉雲先生紹介

 昭和14年12月15日 熊本県天草郡大矢野町中江後という有明海に

ぽっかり浮かぶ離れ小島の、大変貧困な家庭に9人兄弟姉妹(男5人女4人)

の末っ子として生を受ける。

 昭和21年 終戦の翌年、小学校入学。その後、中学・高校と少年時代を

経て実社会に出るまで大変な貧しく苦しい体験をする。

実社会に出てからも、人の何倍も努力しても努力しても苦難・不遇の 

繰り返しで、転々と7つも職を変わった有り様。住まいも古い借家で、

生きていくのがやっとであった。

 昭和50年 そのような人生のどん底を生きる年月が流れていく中の

ある日、友人の引き合わせで奥田流三代目志田義光先生と出会う。滉雲

35歳のことである。

三代目志田義光先生は滉雲に、『君の不運・災難の根源は借家している

家の家相が悪いことが1つ。もう1つは大変間違った先祖供養法をして

いる。』と、まずこの2つを正常化するように指導された。

滉雲は三代目の指示に従い兄姉達の援助を受け、自然界の五大原則を

守った家造りと先祖供養の正常化を実行しました。すると、不思議な

ことに過去の運命と比較すると考えられないほど、人生に関わる様々な

面まで好転していったのです。

自分の体験から世の中には過去の自分と同じように不遇の根源が何か

わからず苦しみ続けている人が多いはずだ。1人でも多くの人を救えれば

と思い、縁のある人には志田先生を紹介しながら先生との付き合いも

続いていく中、心の勉強・心の修行・物事に対する判断の仕方はどう

あるべきか等の指導から始まり、奥田流の奥義を滉雲に託し始める。

ある日のこと三代目が『林田君、君の生年月日に出ているが、君は神から

与えられた生年月日だよ。この道を努力して修行を積めば人助けの道で

頂点を極める運命を授かっている。』と言われ、半信半疑ながらも

過去の自分の様な人達を1人でも救いたいと思う一心から修行の道に入る。

また、救って行かなければ罰が当たる、自分だけ助かったから良いと

思ってはいけないという気持ちが強かった。

そして志田先生の力を借りながら人助けの道を歩き続け、滉雲は着実に

成長を遂げた。

 昭和63年のこと、三代目志田義光先生から本当の人助けの道に入るように

生まれてきたのは君だと諭され、奥田流四代目の任命を受けることとなる。

志田義光先生との出会いから14年目のことであった・・・。

 

現在も人助けの道を続けながら、各地での公演や良からぬ新興宗教の

撲滅運動、人をだます金儲け主義の占い師などを世の中から無くす活動を

続けている。

 

 

※実際はもっと奥深い内容ですが、短縮してご紹介しました。